地価上昇、いつか来た道 ホステル開業、元信金マンの懸念 – 京都新聞

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バブル崩壊は山一証券の廃業(中央)や南京都信用金庫(右上)の破綻などにつながった。同信金職員だった大野さんは、近年の訪日客増加(右下)によるホテルラッシュにバブルを重ね合わせる=写真はコラージュ
バブル崩壊は山一証券の廃業(中央)や南京都信用金庫(右上)の破綻などにつながった。同信金職員だった大野さんは、近年の訪日客増加(右下)によるホテルラッシュにバブルを重ね合わせる=写真はコラージュ

 「重大な発表がある。早く出社してほしい」



 2000年1月14日午前5時。京都市東山区の自宅に突然掛かってきた上司からの電話に、大野習平(55)は飛び起きた。勤め先は宇治市をはじめ京都府南部を地盤とした南京都信用金庫。急いで職場に駆け付けると、上司が重い口調で経営破綻を告げた。事業は京都中央信用金庫に譲渡するという。職員たちは言葉を失った。

 西暦変更で電算システムの大混乱が懸念された「2000年問題」に備え、前年から対策を重ねた。万全を期して臨んだ年初の営業日は不具合が起きずに安堵(あんど)した。その10日後の暗転だった。「システムは無事だったのに、勤務先がつぶれるなんて」。将来を案じる暇もなく、大野は店に詰め掛けた預金者や鳴り響く電話の対応に忙殺された。

 破綻の原因は、バブル期に膨らんだ不動産融資だった。営業エリアの府南部は当時、宅地開発が進み、地価上昇が続いた。「京都南部の地場産業は不動産だ」。こう豪語するトップの下、職員は土地の評価額を過大に見積もり、競うように資金を貸し出した。

 上昇を続けた地価は、不動産融資を抑制する国の総量規制が1990年に出された前後から、下降に転じた。金融機関は多くの不良債権や株式の含み損を抱えた。97年には都市銀行で初めて北海道拓殖銀行が経営破綻。「四大証券」の一角を占めた山一証券も自主廃業に追い込まれた。南京都信金も損失が拡大し、同様に経営が行き詰まった旧京都みやこ信用金庫(京都市伏見区)とともに、自力再建を断念した。

 両信金から京都中央信金に移った職員は500人。再就職した大野も京都市内の支店で企業を回ったが、3年半後の2004年に辞表を提出し、20年間身を置いた金融界を離れた。当時42歳。「新たな人生を踏み出す最後のチャンスだ」。意を決して築70年の自宅を改修し、念願のユースホステルを08年に開業した。

 4室で定員13人。清水寺に近く、京町家の趣を残す小さな宿は、観光客の人気を集め、連日にぎわった。1人で訪れる中学生や高校生も多く、大野は机を囲み学校生活から恋愛相談まで何でも語らった。

 地域に「異変」が起きたのは、外国人観光客が急増した14年以降だ。近所の町家や空き家で工事が始まり、雨後のタケノコのように簡易宿所が次々と開業した。「施設の運営を任せてもらえませんか」。大野の下にも、不動産会社の営業マンが分厚い資料を持ってやって来た。軌を一にして「田の字」と呼ばれる京都市中心部でも、ホテルの開発ラッシュが起きた。土地の取得競争も激化しており、ここ数年の地価上昇率はバブル期を彷彿(ほうふつ)とさせる勢いだ。

 大野は3年前にがんを手術した。闘病中の現在は予約の受け入れを減らしているものの、宿泊客とのふれ合いを大切にする接客方針は守り続けている。

 気掛かりは、ホテル需要が引っ張るいびつな地価上昇だ。「開発費が膨らめば、稼働率が高くないと利益が出ない。コスト削減でスタッフを置かない施設もある。投資効率だけを見た運営が果たして長く続くだろうか」=敬称略

   ◇  ◇

 来年5月で幕を下ろす平成は、数々の経済危機が起きた。日本のバブル崩壊、米国発のITバブル-。そしてリーマン・ショックからちょうど10年がたった。過去のバブルの現場にいた京都、滋賀にゆかりの人たちの当時を振り返り、今に続く影響や新たな危機の芽に目を凝らす。

【 2018年09月15日 12時47分 】



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