莫大な資金が必要だった3・1独立運動、出どころは... – 東亜日報

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3・1運動は資金面では天道教が運動を主導したと言っても過言ではない。孫秉熙(ソン・ビョンヒ)は投獄された33人の民族代表の世話だけでなく、残された家族に毎月1人当たり10ウォンの生活費を支援した(李種一『黙菴備忘録』)。命をかけて虎口の中に頭を入れた民族代表の義気に対する恩返しだった。天道教が3・1運動の宗家と自負するのも、3・1運動に最初から最後まで責任を負ったからだ。



3・1運動には天道教のほかに「隠れた」資金源が幾つもある。準備段階では、仁村のキム・ソンスが挙げられる。33人の民族代表の1人であるキム・ドテは、「(キリスト教系代表の)李昇薫(イ・スンフン)の関西方面の工作費としてキム・ソンスが2千ウォンか3千ウォンを出した」と証言した(東亜日報1949年3月1日)。

安熙済(アン・ヒジェ、1885~1943)は、韓国の独立を訴えるためにパリ講和会議に派遣された金奎植(キム・ギュシク)一行の活動費に2千ウォンを寄付した。釜山(プサン)でペクサン商会を営んでいた安熙済は、張徳秀(チャン・ドクス)を通じて上海の独立運動の知らせを聞き、喜んで大金を出した(イ・ギョンナム、『雪山 張徳秀』)。

朝鮮王族も独立運動の資金を支援した。大韓帝国の最後の皇后、尹皇后(純貞孝皇后)は、実兄の尹弘燮(ユン・ホンソプ)の要請を受けて独立運動資金を用意した。「王室を復興するためでなくても金を融通してほしい」と言われた尹皇后は、自身が使う内帑金から10万ウォンを融通した。尹弘燮は、この金を海公(ヘゴン)申翼熙(シン・イクヒ)に渡し、上海臨時政府の樹立に使われた(柳光烈『私の履歴書』、韓国日報1974年3月2日)。

一方、3・1運動の過程で資金を横取りする人もいたが、終わりが良くなかった。天道教幹部たちは、日帝の追跡を避けるために京城の酒屋の主人に大金を預けた。しかし、ハン・ゲチャンという商人は万歳運動が終わった後、警察に申告すると脅迫して金を横取りした。彼は自家用車まで買って、傲慢に振る舞ったが、店は滅びた(『独立宣言半世紀の回顧座談会』)。

アン・ヨンベ記者 ojong@donga.com



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