逗子の分離・独立、歴史知って 運動に携わった山口さん語る – 東京新聞

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講演会で分離・独立の住民運動を振り返る山口さん=逗子市で

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 太平洋戦争中、逗子町(現・逗子市)が横須賀市に強制的に合併され、戦後に住民運動の末、分離・独立した歴史を語り続ける人がいる。運動に携わった山口茂さん(89)=逗子市。町の歩みを広く知ってもらい「自主自立を大事にして、良い町を次の世代に譲っていけたら」と願っている。 (北爪三記)

 「七月一日は逗子の独立記念日。当時の有権者の皆さんのおかげです」。逗子市で一日、市民ら約九十人を前に山口さんが話し始めた。二〇〇九年から毎年この時期、山口さんが続ける講演会だ。

 山口さんや逗子市史などによると、逗子町は旧日本海軍の横須賀鎮守府に通いやすいことから、海軍住宅があった。池子弾薬庫や工員宿舎などの建設も進む中、一大軍港都市建設のため一九四三(昭和十八)年四月、横須賀市に合併された。「町議会は全面反対だったが、戦中のこと。非国民になってしまう」と山口さんは振り返る。

 戦後、配給品や公共施設の予算措置を巡る不公平感などから、分離独立の機運が芽生える。四八年の地方自治法改正で、戦時中に強制合併された市町村を分離できる二年間の特例措置が設けられた。これを受け、青年団長だった山口さんや開業医、商店主らが四九年、独立期成同盟会を結成した。

 山口さんらは法の規定通り、旧逗子町に住んでいた有権者三分の一以上の署名を集め、分離の賛否を問う住民投票が実施された。賛成票が過半数となり、県議会の議決も経て五〇年七月一日に逗子町が復活した。

 五四年四月十五日に市に移行した逗子は、この日を市制記念日にしている。山口さんは七月一日を念頭に「逗子の誕生日をお祝いできる体制ができるといいな、と思う。当時の人に感謝し、これからもなお逗子が良くなれば」と話す。

 講演を聞いた平井竜一市長は「大切な歴史や皆さんの思いが、市全体で引き継がれるよう努力していきたい」と語った。

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